70年前の今日、アウシュビッツ強制収容所は解放されました。
ヴィクトール・フランクルも収容されたこの収容所。
ポーランドでは、70年解放記念式典が行われ、時の流れとともに数少なくなった生存者の方も参加されるようです。
強制収容所と向き合う時、私達は、常に 「人間とは」 という問いを投げかけられます。
なぜなら、かつてのあの場所ほど、人間の本質が丸裸になった場所はないからです。
家族、地位や職、そして名前さえ奪われた時、そこに残ったのは、その人自身そのものでした。
理解しがたい程の利己的な行動や残虐さ、或いは、過酷な状況下でも失われることのない愛、思いやりと崇高さ。
この相反する両面、どちらも、人間は、持つことができるのです。
なぜ、その違いが生まれるのか? なぜ、そんな事ができるのか?
今日まで、心理学では、教育や、社会的・環境要因などの様々な観点から、研究が行われてきました。
ある程度、心理プロセスや影響要因は、解明されてきたのかもしれません。
しかし、状況が同じであれば、100%、我々は同じ行動を取る訳ではありません。
どんな環境や状況であっても、最終的に何を選び、どう行動するのか。
それはやはり、私達の選択に委ねられています。自由意志に基づく決定です。
強制収容所においても、「わたし」を見失わず、「わたし」としての尊厳を保つ人々がいた。
その事実は、人間の内面は外的な運命よりもはるかに強いのだと、私達に語りかけてくれます。
今日は、そんな人々の中から、アウシュビッツで亡くなった一人の音楽家をご紹介します。
プラハ近郊のテレージエンシュタット(テレジン)収容所では、多くの芸術家が収容されていました。
ナチスが、「ユダヤ人を保護する施設」というプロパガンダの目的で使用していた為です。
そこで音楽活動をしていたヴィクトール・ウルマン。過酷な環境下で、自由を奪われ、大切な音楽を、
プロパガンダの一環として扱われる苦悩は、どれほどのものだったことでしょう。
彼は、アウシュビッツ移送前に、手記で、私達にこんなメッセージを残してくれていました。
"意味ある手本は、次世代の人々に、彼らの内面的姿勢や生きざまを刻み込む。
(中略)
テレージエンシュタットは私にとって形式を学ぶ修練の場所でありつづけた。
以前、快適さという文明の魔法によって、物質的生活の攻撃的な力や精神的な重荷を感じなかった時は、
きれいな形式を創造するのはたやすいことだった。しかし、この場所は日々の生活において、
形式を通じて素材を克服しなければならず、また、音楽とは程遠い、正反対の環境であった。
(中略)
楽譜の為のひどい紙不足のことも次世代の人々にとっては興味のないことのはずである。
私が強調したいのは、私がテレージエンシュタットでも私の音楽的な仕事を振興したことであり、
私が少しもテレージエンシュタットに仕事を妨げられなかったことである。
私達は、バビロン川の辺に嘆きながらただ佇んでいたわけではない。
芸術への意志は、生きようという意志と関係している。"
"ゲーテとゲットー"より抜粋
次世代を生きる私達。
この大切なメッセージをしっかりと受け止め、このバトンを次世代へ、受け渡していかなければなりません。
私達自身もまた、新たな手本となる責任を担っている存在なのですから。
彼らの自由意志と尊厳に敬意を込めて。
このコラムへのコメントや、過去のコラムの閲覧は、Sinn Counseling の Facebookページまで!